孟子のお母さんも有名な人です。そのわけは……
赤…重要文法・句法、青…用言、緑…その他、黄色アンダーバー…解説箇所
孟子之少 、既学而帰、孟母方 。問曰、「学 所至 。」
孟子の少きとき、既に学びて帰るに、孟母方に織る。
問ひて曰はく、「学何れに至る所ぞ。」と。
孟子が幼い頃、 と、孟母はちょうど織物をしていた。 、「学問はどこまで進みましたか。」と。
孟子曰、「 。」
孟子曰はく、「自若たり。」と。
孟子は言った、「以前と変わりません。」と。
孟母以刀断其 。孟子 而問其故。
孟母刀を以て其の織を断つ。孟子懼れて其の故を問ふ。
孟母は刀を手にしてその(織りかけの)布を断ち切った。孟子は恐れおののきその理由を尋ねた。
A「勉強どう?」
B「あんまり進んでないかなぁ?」
あなたがBなら、このやりとりにおいて、皆さんはどんな気持ちでこの言葉を発しますか?もしくは相手にどんな反応を期待して発しますか?
謙遜の気持ちからでしょうか?自信がないからでしょうか?共感を求めて?
それとも本当にやる気が出なくて勉強してないことを正直に開示して言いますか?
それにしても、孟子は何歳くらいだったのでしょうね?
苛烈なお母さんだとわかっていたでしょうに。迂闊でしたね。
そのあと奮起したということは、相当驚いただろうなぁ。
孟母曰、「子之廃学、 吾断欺織 。
孟母曰はく、「
の学を廃するは、吾の斯の織を断つがごときなり。孟母は言った、「あなたが学問を途中でやめるというのは、私がこの(織りかけの)布を断ち切るようなものです。
君子学以立名、問則広知。居則安寧、動則遠害。
夫れ君子は学びて以て名を立て、問ひて則ち知を広む。是を以て居れば則ち安寧にして、動けば則ち害に遠ざかる。
そもそも君子は学問を修めて名声をあげ、
知識を広めるものです。こうして仕官していなければ 、仕官していれば災難から遠ざかります。
今而廃之、是免於廝役、而無以離於禍患 。
今にして
を廃するは、是れ を免れずして、以て禍患より離るる無きなり。今ここで勉強をやめてしまうのは、人に使われる身分となることから逃れられなく、災いからも離れられないでしょう。
何を以つて織績して食するに、中道にして廃して為さざるに異ならんや。
これではどうして織り紡いで生計を立てているのに、途中でやめて働かないことに変わりがありましょうか。
能衣其夫・子、而長不乏糧食哉。
寧くんぞ能く其の夫・子に
せて、長く糧食に乏しからざらしめんや。(そんなことで)どうして夫や子どもに着物を着せ、食うに困らずさせられましょうか。(いや、させることはできない。)
女則廃其所食、男則堕於 、不為窃盗、則為 矣。」
女則ち其の食する所を廃し、男則ち徳を脩むるを堕れば、窃盗を為さずんば、則ち虜役と為らん。」と。
女が食べていくための仕事をやめ、男が徳の修養を怠るならば、泥棒をしなければ、奴隷にでもなるしかありません。」と。
孟子懼、旦夕勤学不息。
孟子懼れ、旦夕学に勤めて息まず。
孟子は恐縮して、一日中学問に励んで休む間もなかった。
師事 、遂成天下之名儒。
子思に師事し、遂に天下の名儒と成れり。
子思を師として、とうとう天下の名儒となった。
孟母に関する話は4話あるそうです。現代語訳、解説付き。興味ある人はどうぞ。
http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/8396/1/KJ00000699400.pdf
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