くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。歩いて二十分ほどのところにある川原である。春先に、鴫を見るために、行ったことはあったが、暑い季節にこうして弁当まで持っていくのは初めてである。散歩というよりハイキングといったほうがいいかもしれない。
くまは、雄の成熟したくまで、だからとても大きい。三つ隣の305号室につい最近越してきた。ちかごろの引越しには珍しく、引越しそばを同じ階の住人にふるまい、葉書を十枚ずつ渡してまわっていた。ずいぶんな気の遣いようだと思ったが、くまであるから、やはりいろいろとまわりに対する配慮が必要なのだろう。
ところで、その蕎麦を受け取ったときの会話で、くまとわたしとは満更赤の他人というわけでもないことがわかったのである。
表札を見たくまが、
「もしや某町のご出身では」
と訊ねる。確かに、と答えると、以前くまがたいへん世話になった某君の叔父という人が町の役場助役であったという。その助役の名字がわたしのものと同じであり、たどってみると、どうやら助役はわたしの父のまたいとこに当たるらしいのである。あるか無しかわからぬような繋がりであるが、くまはたいそう感慨深げに「縁(えにし)」というような種類の言葉を駆使していろいろと述べた。どうも引越しの挨拶の仕方といい、この喋り方といい、昔気質のくまらしいのではあった。
そのくまと、散歩のようなハイキングのようなことをしている。動物には詳しくないので、ツキノワグマなのか、ヒグマなのか、はたまたマレーグマなのかは、わからない。面と向かって訊ねるのも失礼である気がする。名前もわからない。なんと呼びかければいいのかと質問してみたのであるが、近隣にくまが一匹もいないことを確認してから、
「今のところ名はありませんし、僕しかくまがいないのなら今後も名をなのる必要がないわけですね。呼びかけの言葉としては、貴方、が好きですが、ええ、漢字の貴方です、口に出すときに、ひらがなではなく漢字を思い浮かべてくださればいいんですが、まあ、どうぞご自由に何とでもお呼びください」
との答えである。どうもやはり少々大時代なくまである。大時代なうえに理屈を好むとみた。
川原までの道は水田に沿っている。舗装された道で、時おり車が通る。どの車もわたしたちの手前でスピードを落とし、徐行しながら大きくよけていく。すれ違う人影はない。大変暑い。田で働く人も見えない。くまの足がアスファルトを踏む、かすかなしゃりしゃりという音だけが規則正しく響く。
暑くない? と訊ねると、くまは、
「暑くないけれど長くアスファルトの道を歩くと少し疲れます」
と答えた。
「川岸まではそう遠くないから大丈夫、ご心配くださってありがとう」
続けて言う。さらには、
「もしあなたが暑いのなら国道に出てレストハウスにでも入りますか」
などと、細かく気を配ってくれる。わたしは帽子をかぶっていたし暑さには強いほうなので断ったが、もしかするとくま自身が一服したかったのかもしれない。しばらく無言で歩いた。
遠くに聞こえはじめた水の音がやがて高くなり、わたしたちは川原に到着した。たくさんの人が泳いだり釣りをしたりしている。荷物を下ろし、タオルで汗をぬぐった。くまは舌を出して少しあえいでいる。そうたって立っていると、男性二人子供一人の三人連れが、そばに寄ってきた。どれも海水着をつけている。男の片方はサングラスをかけ、もう片方はシュノーケルを首からぶらさげていた。
「お父さん、くまだよ」
子供が大きな声で言った。
「そうだ、よくわかったな」
シュノーケルが答える。
「くまだよ」
「そうだ、くまだ」
「ねえねえくまだよ」
何回かこれが繰り返された。シュノーケルはわたしの表情をちらりとうかがったが、くまの顔を正面から見ようとはしない。サングラスの方は何も言わずにただ立っている。子供はくまの毛を引っ張ったり、蹴りつけたりしていたが、最後に「パーンチ」と叫んでくまの腹のあたりにこぶしをぶつけてから、走って行ってしまった。男二人はぶらぶらと後を追う。
「いやはや」
しばらくしてからくまが言った。
「小さい人は邪気がないですなあ」
わたしは無言でいた。
「そりゃいろいろな人間がいますから。でも、子供さんはみんな無邪気ですよ」
そういうと、私が答える前に急いで川のふちへ歩いて行ってしまった。
小さな細い魚がすいすい泳いでいる。水の冷気がほてった顔に心地よい。よく見ると魚は一定の幅の中で上流へ泳ぎまた下流へ泳ぐ。細長に四角の辺をたどっているように見える。その四角が魚の縄張りなのだろう。くまも、じっと水の中を見ている。何を見ているのか。くまの目にも水の中は人間と同じに見えているのであろうか。
突然水しぶきがあがり、くまが水の中にざぶざぶ入っていった。川の中ほどで立ち止まると右掌をさっと水にくぐらせ、魚を掴み上げた。岸辺を泳ぐ細長い魚の三倍はありそうなものだ。
「驚いたでしょう」
戻ってきたくまが言った。
「おことわりしてから行けばよかったのですが、つい足が先に出てしまいまして。大きいでしょう」
くまは、魚をわたしの目の前にかざした。魚のひれが陽を受けてきらきら光る。釣りをしている人たちがこちらを指さして何か話している。くまはかなり得意そうだ。
「さしあげましょう。今日の記念に」
そう言うと、くまは担いできた袋の口を開けた。取り出した布の包みの中からは、小さなナイフとまな板が出てきた。くまは器用にナイフを使って魚を開くと、これもかねて用意してあったらしい粗塩をぱっぱと振りかけ、広げた葉の上に魚を置いた。
「何回かひっくり返せば、帰るころにはちょうどいい干物になっています」
何から何まで行き届いたくまである。
わたしたちは、草の上に座って川を見ながら弁当を食べた。くまは、フランスパンのところどころに切れ目を入れてパテとラディッシュをはさんだもの、わたしは梅干し入りのおむすび、食後には各自オレンジを一個ずつ。ゆっくり食べおわると、くまは、
「もしよろしければオレンジの皮をいただけますか」
と言い、受け取ると、わたしに背を向けて、いそいで皮を食べた。
少し離れたところに置いてある魚をひっくり返しに行き、ナイフとまな板とコップを流れで丁寧に洗い、それを拭き終えると、くまは袋から大きいタオルを取り出し、わたしに手渡した。
「昼寝をするときにお使いください。僕はその辺をちょっと歩いてきます。もしよかったらその前に子守唄を歌ってさしあげましょうか」
真面目に訊く。
子守歌なしでも眠れそうだとわたしが答えると、くまはがっかりした表情になったが、すぐに上流の方へ歩み去った。
目を覚ますと、木の影が長くなっており、横にくまが寝ていた。タオルはかけていない。小さくいびきをかいている。川原には、もう数名の人しか残っていない。みな、釣りをする人である。くまにタオルをかけてから、干し魚を引っくり返しにいくと、魚は三匹に増えていた。
「いい散歩でした」
くまは305号室の前で、袋から鍵を取り出しながら言った。
「またこのような機会を持ちたいものですな」
わたしも頷いた。それから、干し魚やそのほかの礼を言うと、くまは大きく手を振って、
「とんでもない」
と答えるのだった。
「では」
と立ち去ろうとすると、くまが、
「あの」
と言う。次の言葉を待ってくまを見上げるが、もじもじして黙っている。ほんとうに大きなくまである。その大きなくまが、喉の奥で「ウルル」というような音をたてながら恥ずかしそうにしている。言葉を喋る時には人間と同じ発声法なのであるが、こうして言葉にならない声を出すときや笑うときは、やはりくま本来の発声なのである。
「抱擁を交わしていただけますか」
くまは言った。
「親しい人と別れるときの故郷の習慣なのです。もしお嫌ならもちろんいいのですが」
わたしは承知した。
くまは一歩前に出ると、両腕を大きく広げ、その腕をわたしの肩にまわし、頬をわたしの頬にこすりつけた。くまの匂いがする。反対の頬も同じようにこすりつけると、もう一度腕に力を入れてわたしの肩を抱いた。思ったよりもくまの体は冷たかった。
「今日はほんとうに楽しかったです。遠くへ旅行して帰ってきたような気持ちです。熊の神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように。それから干し魚はあまりもちませんから、今夜のうちに召し上がるほうがいいと思います」
部屋に戻って魚を焼き、風呂に入り、眠る前に少し日記を書いた。熊の神とはどのようなものか、想像してみたが、見当がつかなかった。悪くない一日だった。